我が国での変遷

我が国へは何時、どの様な状況で伝来したのか。時代を経てネクタイは、どう姿を変えたのか。
鎖国当時(18世紀半ば)、西洋との唯一の窓口となった長崎/出島でオランダ人によるネクタイ姿が初めてののものと推測できます。

我が国へのネクタイの渡来は18世紀半ば

 ちなみに、日本人で初めてネクタイを締めた人物は、土佐住人中浜万次郎だと伝えられている。彼は15歳の時に鰹漁の際に遭難し、アメリカの捕鯨船に救助されて、アメリカ本土で英語の勉強をしたり、遠洋航海船で働いたのち帰国し、幕府の通訳として活躍した。アメリカから帰国した時の所持品目録に「白鹿襟飾三個」と有り、まぎれもなくネクタイを着用していたことを伺わせる。

それは軍隊から始まった

 幕末の激変期に西洋から様々な影響を受けた。服装もそのひとつで、幕府の洋式軍隊に採用された。
しかし、そのころは洋服そのものが少なく不揃いであった。そこで、日本人にあったものを職人を養成して作らせた様だ。いわば洋服文化の幕開けである。
 明治時代に移ると、軍隊は正式に洋服着用となって、巡査・鉄道員・郵便配達員なども制服として洋服を着るようになった。この当時の一般市民は、依然着物姿であった。
この頃、ネクタイはT襟締UT襟飾UTネッキタイUと、呼んでいたとの事です。

国産ネクタイ登場

 明治14、15年当時は、輸入品を初めて販売したと記録されている。
 明治17年(1884年)小山梅吉氏が、最初にネクタイを自ら作り販売した。中古市場で見つけた細長い布に目が引かれ、一本買求め、これを見本にして帯地を裁断して、ネクタイを作った。これこそが、記念すべき我が国で最初に作られたネクタイとの事です。蝶ネクタイと語り伝えられています。

現在の結び下げモデルは大正時代に開花

 大正5年(1915年)現在の主流であるダービー・タイ(結び下げ形式)が、幕末から明治初期にかけて普及していた蝶タイ形式(細幅のひも状のネクタイを結んだものか、蝶タイ)から主役になった。
 大正12年(1922年)の関東大震災が契機となって、一般市民にまで普及した。          
これは、明治天皇大葬、昭憲皇太后崩御、大正天皇即位などの大きな出来事に各種洋服が盛んに用いられ、一般市民にも洋服が馴染んできた事がひとつの要因と考えられる。
   また、大正後期から昭和初期に登場したモボモガが、洋装化の推進役の役割を果たした。
モボ(モダンボーイ=modern boy)
当世風で新しがりやの青年が登場した、ちょびひげ、らっぱずぼん、ステッキなどの装いを特徴とした
モガ(モダンガール=modern girl)
断髪にハイヒールで、キネマ、ダンス、スポーツ等を好むなど、開放的で、享楽的現代的な若い女性

バイヤス裁断方法を発見

 大正13年(1923年)現在の、表地芯地とも45度に生地を裁断する方法が、一番合理的だと発見された。初期のネクタイ生地は、綿の綾生地の裏地であり、薄い朱子の一丁紋織、綾、畔、石目、琥珀などの織物が大半で、プリントものは若干出回った程度だった。
 大正2〜9年(1912〜19年)いわゆる大正のハイカラ時代に、友禅そめのネクタイが人気を集めた
 文士や画家、音楽家などの間で流行った色無地や水玉のボヘミアン・タイ。
 大正14〜15年(1924〜25年)人絹編ネクタイが流行の波に乗った。
さらに織物ネクタイ主流へと動いていきます。

 昭和史概略ーネクタイ編

 昭和14年(1939年)国民服が、制定された。一般市民は国防色一色に塗りつぶされた。ネクタイの需要が激減した。様々なものが統制下に置かれ、衣料品も同様でネクタイ業界も開店休業の状態。
大正末期から悪化しはじめた経済情勢は、昭和に入って金融恐慌、満州事変、日支事変、第二次世界大戦の勃発と続いた。
 昭和24年(1949年)衣料品の統制解除。ネクタイも配給ルート以外の着物地や服地をつぶして作った。大戦終了直後、街頭で見かける服装は、軍服、国民服一辺倒であった。
こうした中、21年頃には石目織、23年頃にはエンジ中心で幅12センチ、24年頃には紺・茶が基調色の主流となった。又、22〜23年には、プリントタイが登場してきた。しかし、この時代、ネクタイも明らかに商品が不足していた。昭和25年(1950年)朝鮮戦争が始まり、日本経済も急速に回復へ向かった。この頃から、ネクタイも様々な動きをみせ始めた。流行色に関心が高まり、原色調から中間色調へ、柄もチェックや水玉、ストライプなどが増えてきた。

ネクタイ戦後史

28年(1953)朝鮮戦争休戦/米ソ冷戦本格化→ひも状のポーラー・タイ/9cm.中心
   29年(1954)洞爺丸遭難/造船汚職→マンボ・スタイル・角タイ流行/8.5cm.中心
30年(1960)紫雲丸事件/保守合同→ボックス型上衣にスラックス、ダスター・コート、
          →抽象柄・幾何学柄・エジプト模様に人気/8cm.中心
31年(1956)国連加盟/日ソ交渉妥結→アイビー・ファッションの登場。
   ネクタイの色調は、ライトトーンへ、抽象柄、幾何学模様、エジプト模様が流行した。
35年(1960)初のライセンス海外デザイナーズ・ブランド登場<ピエール・カルダン)
41年(1966)「父の日」キャンペーン開始。ネクタイ業界が提唱。
42年(1967)ピーコック革命キャンペーン。色調は、ビビッドトーンへ。6.5cm.中心
43年(1968)ヤングカジュアル本格化。高明度、高彩度のブライトトーンへ。アールデコ台頭。
44年(1969)カラー・シャツのブームにより、ネクタイも明るいカラー化。ロココ調に注目。
48年(1973)第一次オイルショック。プリントタイ全盛。ヨーロピアンスタイルブームに。ワイド10cm.
50年(1975)タイ幅のワイド化進展。プリント11cm.・織り9〜10cm.。トレンチコートブーム。
53年(1978)VAN 倒産。輸入ブランドブーム。サーファールック。10cm.中心。
54年(1979)第二次オイル・ショックによる省エネムードの高まり。ループタイに人気。省エネルック。
   55年(1980)タイ幅が細くなる。8.5〜9cm.に。柄は小柄。スリムタッチの英国紳士スタイル主流。
56年(1981)英国調本格化。組合せルック伸びる。麻素材人気。織物タイ主流に、ストライプ柄注目。
   57年(1982)ジャケ・スラ・古着ルック・ベーシックな柄や無地感覚の柄に人気集中。8〜8.5cm.中心
58年(1983)トランス・カジュアル進行。破壊ルック。ポロF話題。ヤングに6cm.幅支持。スト柄。
59年(1984)トラッド安定化。クラシック調。ストライプ柄堅調。8〜8.5cm幅中心。
60年(1985)ルーズ・ワイドなシルエットへ。脱ストライプ・ペーズリー人気。レーヨン話題集める。
   61年(1986)DC市場拡大。流れはクラシック。こだわりF浸透。タイ幅8〜8.5cm.中心 
 ◇現代へ至る。
ヌ参照=<ネクタイの起源
 
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